’89 2月 右ろっ骨にヒビがはいった
二連覇が懸かった広島県大会を3週間前にして 日曜帯研のスパーリングで
まわりは稽古仲間であり 且つ ライバルでもある 誰のどの技かは 口が裂けても言えなかった
だが 自己申告はなくとも 当の本人は けっこう判っていたりする やはり それだけの感触が残るものだ
「ふふん ワシの右フックか」 などと
しかし このときは右わき腹 当時 左の気の利いた技を出す者はいなかった
” ハカイダー ”と呼ばれる強者連も 「はて?」 頭に?マークがついていた
何気のない左三角蹴りを 何気なく もらい 「ングッ!?」となっていた
わき腹の怪我をおしてまで出場する勇気はなかった 欠場を決めた時は目の前が真っ暗になったものだ
しかし なにが幸いするかわからない その後 全中国~ウエイト制~全日本と この年は目まぐるしく移り変わった
そのキッカケとなる ひとつの出来事であったことは まちがいない