初めて出されたときは そのあまりのグロテスクさに
「ギブ… 無理です」 だった しかし これが食してみると若干の臭みはあるが 甘くて美味しい
広島でのタレはごま油にしお だが 東京ではにんにくおろしに醤油だ
これに完璧にはまった 素材のうまみを引き出す最高のタレだと 自分では思っている
いつのまにか好物のひとつになったレバ刺しだが
生は大好きなのだが 火を通すと これが全く食べられない(^^ゞ
自分でもふしぎだ
初めて出されたときは そのあまりのグロテスクさに
「ギブ… 無理です」 だった しかし これが食してみると若干の臭みはあるが 甘くて美味しい
広島でのタレはごま油にしお だが 東京ではにんにくおろしに醤油だ
これに完璧にはまった 素材のうまみを引き出す最高のタレだと 自分では思っている
いつのまにか好物のひとつになったレバ刺しだが
生は大好きなのだが 火を通すと これが全く食べられない(^^ゞ
自分でもふしぎだ
‘87 晩春 京都支部に一週間出稽古した
当時は 三明広幸 桑島保浩 小井義和 といった京都支部三強を筆頭に
地方大会 上位常連の猛者揃い 飛ぶ鳥を落とす勢いの道場だった
午前中は師範から指示されたメニューをこなす
(サンドバック1分+シャドー1分+スクワット1分)×30セット という途方もないメニューもあった
夕方は職員の方々とスパーリング そして夜は各道場での道場稽古だった
いちばん印象に残っているのは 走り込み 近くの公園に行き一周300m弱のトラック
「ピッ!」 笛の合図で全力疾走 「ピッ!」 鳴れば ジョギング この繰り返し 延々と
体感的には1時間以上に感じた 「いつ おわるんや~?」 まさに終わりなき走り込みだった
このとき 桑島師範に2周抜かれ 三明師範に1周抜かれた
やはり 全日本のトップ選手は基礎体力が違うと思い知らされた
その後 道場にもどり 即 帯研 1分交代のミット中心の稽古 狂ったように突き・蹴りを叩き込んだ
自分にとっては初めての出稽古 この一週間は心身ともに大きな変化をもたらした
また トップ選手といえど けっして手の届かない存在ではないと あらためて感じることができた
この二ヵ月後 全中国空手道選手権大会 初の4位入賞 自分にとって大きな壁をぶちやぶり
” やればできる ”と一気に自信が加速した
‘89 夏 東京に赴いた
全国高校生大会応援 総本部出稽古・総裁室訪問 国立競技場にてウエイトトレーニング
そして 翌年の総本部昇段審査に向けて 型の習得のため 東京城東支部に出稽古した
限られた日数のなか 午前中3時間 みっちり稽古した
当時は23歳 現役バリバリの頃 今ほど汗っかきではなかった 猛稽古の後も 適度な汗の量だった
が しかし この時は違った 自分でも信じられないくらい 汗が吹きでた
”型の習得” は至上命令 必死だった
広島に帰り 「え~っと どうだっけ?」 は決してゆるされない
指導員の秋元先生に丁寧に指導していただき 帰る頃にはどうにか動けるようになった
正確な型を学び あらためて ”型の重要性” を知らされた
何度か経験した
終わりなき走り込み 果てしなき稽古 いちばん力がついた 京都支部
武道としての空手を考えさせられた 総本部
正確な型を学んだ 城東支部
基礎体力トレーニングを行っていた 埼玉支部
二人の世界チャンピオンと稽古した 城南支部
どの道場も強烈なカラーがあり 異次元の空気がながれていた
倒すか 倒されるか という緊張感の中 切磋琢磨した
そのすべてが 血となり 肉となった
出稽古 ”地獄編” はいずれ紹介する
高校の文化祭に行ってきた
さすがに高校は規模がでかい 保護者、他校の生徒などで大盛況だ
生徒の一挙手一投足を見ていると 爽やかで輝いている まさに ”青春” そのものだ 眩しいくらいに
二度とない青春だ 燃えて燃えて燃えまくってもらいたい