‘山根道場的な日々・・・’ カテゴリーのアーカイブ

 腰痛

2010年12月4日 土曜日 by 山根 誠治

 ひさびさ腰痛がやってきた 

実際に痛い箇所は 尻側の股関節 腰からきていると自分で分かる

前系の蹴りはできるが 横系の蹴りはまったく蹴れない ここまで痛いのは本当に久っさしぶり

「こりゃ 病院行かんといけんかも?」 そんなとき 相談役にいただいた たくさんの湿布を思い出した

「湿布しよ!」 さっそく貼ってみた 

一日目でずいぶんと楽になり 三日目で蹴りも7~8割くらい蹴れる 一週間でほぼ完治した 湿布だけで・・・

最近の湿布の威力は凄いものだ しかも くっついたら全然剥がれない 

剥ぐときに 「アイタタタタ!」というくらい ぴったりとくっついている

なにはともあれ痛みはひいた 相談役に感謝 

 黒帯

2010年12月2日 木曜日 by 山根 誠治

 空手をはじめた頃の目標は 黒帯を取ることだった 夢といっても良かった

黒帯まで辿りつくのは 数百人に一人といわれていた時代だ

実際 入門当初 広島には三名しかいなかった

先輩の締める黒帯は分厚くて ごつく 刺繍もはいっており異彩を放っていた

面白いもので 青帯の頃 先輩の黒帯をお借りして締めたことがある これが全く似合わない 滑稽でさえあった

やはり 相応の力がついてはじめて似合うものだ と改めて感じた

二年後 紆余曲折を経て 黒帯を取得した 自分なりに艱難辛苦を乗り越えてつかんだ

夢とも思われた黒帯を手渡され いざ締めてみるなり おもわず苦笑した

「 白帯より薄い 」(T_T) そして異常に長い

当時 帯号数4号の自分が締めると膝下まであった 「 これって7号?」

なぜかこの時期の黒帯は全国的に薄く 長かった 「 こりゃ 太れゆーことじゃ 」 思い直した

その後 この初段の帯には数多くの出来事・思い出が 刻みこまれていくのだが

無論 このときは知る由もなかった 

 ろっ骨骨折

2010年11月29日 月曜日 by 山根 誠治

 ’89 2月 右ろっ骨にヒビがはいった

二連覇が懸かった広島県大会を3週間前にして 日曜帯研のスパーリングで

まわりは稽古仲間であり 且つ ライバルでもある 誰のどの技かは 口が裂けても言えなかった

だが 自己申告はなくとも 当の本人は けっこう判っていたりする やはり それだけの感触が残るものだ

「ふふん ワシの右フックか」 などと

しかし このときは右わき腹 当時 左の気の利いた技を出す者はいなかった

” ハカイダー ”と呼ばれる強者連も 「はて?」 頭に?マークがついていた

何気のない左三角蹴りを 何気なく もらい 「ングッ!?」となっていた

わき腹の怪我をおしてまで出場する勇気はなかった 欠場を決めた時は目の前が真っ暗になったものだ

しかし なにが幸いするかわからない その後 全中国~ウエイト制~全日本と この年は目まぐるしく移り変わった

そのキッカケとなる ひとつの出来事であったことは まちがいない

 自転車 2

2010年11月27日 土曜日 by 山根 誠治

 朝の自転車が日課となっている

当初の目標だった長い坂は 休憩なしで駆け上がれるようになった

シフトも 一速から二速へと ”チェンジ” している 慣れとはおそろしいものだ

同時に 自分なりに コツがつかめてくる

まず 立ち漕ぎは 不可 息が切れ 体力が消耗するのみ がまんして座して漕いだ方が より下半身に効く

つぎに 上体がぶれないようにしっかりと上半身で支え 

左右にぶれる力を前に出る推進力に利用する これだけでずいぶん楽になる

もうひとつは ”無理をしない” という事 

身体と相談しながら 常に マイペースを心がけている 

 謎の空手家?

2010年11月26日 金曜日 by 山根 誠治

 道場祈願を懸け 氏神様にお詣りに行ったときの事だ

厳かな気持ちで 二拝二拍手一拝をしていると 境内の向こう 野武士系修行僧風の方がスクワットをしていた

「おー 鍛えとる!」 つぎには拳立てをしていた 「拳立てまでしよる?!」 もしかして空手家?それとも少林寺?

腕立てなら解るが 拳立てとなると普通ではない

齢50縺れ ガッシリとした体格の方だった

ひとり黙々と稽古している姿に声をかけるのもはばかられ 謎を残しつつ 後ろ髪ひかれる思いで神社をあとにした

” ひとりでやるのが稽古 ” 昔 聞いた言葉を思い出していた