相談役の方に横断幕をつくっていただいた
これからも ” 徒手空拳 ”で邁進していく所存だ
日頃 愛飲している黒霧島を買い求めスーパーへGO =3 =3
「 これ安っすー!」 さすがスーパー 得した気分で帰途についた
いざ飲む壇になって 「なんじゃ?この赤いの」・・・「20゜っていったい!?」
いままでのパックは25゜とある
飲んでみると 「薄っすー!」・・・「これじゃあ酔えん!」 安いはずだ
いつもの水割りワンフィンガーが フォーフィンガーになった
むかしはビールしか飲めなかったが 今は焼酎 日本酒がいちばん口に合う
日本人だな とつくづく思う
海外遠征の経験は無い
チャンスは二度あった 二度ともことわった 大馬鹿者だ
一度目はウクライナへ空手指導&演武
たしか 全国から20名くらいが代表団として現地に赴いた
当時の自分の立つ状況から これはほとんど無理だった
二度目は シンガポール国際大会
日本代表として 早くからお話をいただいた
これも 1週間後の全日本大会を優先してことわった
うつけものだ (@_@;)
空手人生20数年 ゆいいつ悔いが残る出来事だ
「 後悔先に立たず 」 という言葉が身に沁みる
このときの裏話は長くなるので いつか紹介したい
まだ竹原のおサルだった頃のはなしだ
5年生のとき クラスでキャンプにいった 今で言う野外活動だ
場所は 阿波島という無人島だった 水道はもちろん 電気 ガスもない
井戸はあるが そのまんま海水 とても飲めるものではなかった
水 食材は各自持参だが あとは現地調達 そんな ” サバイバルキャンプ ”だった
今の時代では全く考えられないが 当時はなんの疑問もなく むしろ皆が楽しみにしていた
引率は 養護教諭もいない 担任の先生ひとりだけ
船を持つ保護者が 入れ替わり立ち代り 差し入れに来てくれていた
海岸にテントを張り 穴を掘り石を敷き詰め 即席のかまどをつくる
燃料調達班は山にむかってGO =3 =3
小枝 棒切れ 枯れ葉は燃料に 太く長い棒は海水に浸し 鍋をかける棒にした
まさにキャンプだった そうやって 自然の中でいろいろな経験をし学んでいった
現在の野活はきちんとした設備の中で活動していると聞く それもまた良しと思う
それにしても 昔はおおらかだった
今日の少年部 ラストは腕立て30回 黄帯以上は拳立てだ
悲鳴をあげながらやっていた
まだできない子 根性で最後までやりきる子 途中で腕立てにかえる子 その子なりの個性がでていておもしろい
はじめて拳立てした時は 畳だったが強烈な痛さに驚いたものだ
突きの威力をつよくする一番の稽古法だと信じている